築地の今と昔をつなぐ「💡知ろう語ろう築地の歴史プロジェクト」

築地という街には、長い歴史と豊かな文化、そして多くの人々の暮らしがあります。

私たちは、築地の「今」と「昔」を知り、人と人が語り合うことで、この街に息づく歴史や文化を未来へつないでいきたいと考えています。

そんな想いから生まれたのが、『知ろう語ろう築地の歴史プロジェクト』 です。

築地歴史

本プロジェクトでは、歴史的に築地のゆかりのある場所を全7回で紹介します。

今回は2回目となります。

1回目は»こちらでご覧になれます。

築地ゆかりの浅野家上屋敷跡から見える時代の移ろい

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築地川公園に設置されている「暁橋跡」の橋銘板の道路を挟んだ向かい側、聖路加国際大学の植栽の中に「都旧跡浅野内匠頭邸跡」という石碑が建っています。

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江戸中期頃まで、このあたりには赤穂藩浅野家の上屋敷がありました。

藩主の浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に対して刃傷に及んだことを発端とし、紆余曲折の末に大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士47名が仇討ちを遂げたという、いわゆる「忠臣蔵」については、浄瑠璃や歌舞伎の名作『仮名手本忠臣蔵』(竹田出雲、並木宗輔の合作)が、現在でも上演し続けられていますし、様々な切り口で映画やドラマでも取り上げられてきましたので、ご存じの方も多いと思います。

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この事件後、赤穂藩の江戸上屋敷や領地は取り上げられ、赤穂藩浅野家は断絶となりました。

明治時代になって、この一帯に「築地外国人居留地」が開設され、アメリカをはじめとする公使館や領事館が置かれました。

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また、宣教師や教育者、医師などの知識人が多く住み、宣教や伝道活動の一環として、教会やミッションスクールも数多く作られました。

また、外国人の牛乳製品の需要を見込んだのか、この場所に「耕牧舎」という乳牛飼育の牧場が作られ、牛乳やバターの製造販売をしていたようです。

<📍 築地ゆかりの史跡や記念碑の散策マップをご覧ください。>

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浅野内匠頭邸跡や外国人居留地の碑、そして多くのミッションスクールゆかりの碑まで、歩いてめぐるだけで築地の多層的な歴史を感じられるポイントがぎゅっと詰まっています。

機会があれば、ぜひ実際の街を歩いてみてください。

江戸の面影、明治の国際色、そして教育文化の足跡が、きっと新しい築地の表情を見せてくれるはずです。

 


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