お知らせ
築地の今と昔をつなぐ「💡知ろう語ろう築地の歴史プロジェクト」
築地という街には、長い歴史と豊かな文化、そして多くの人々の暮らしがあります。
私たちは、築地の「今」と「昔」を知り、人と人が語り合うことで、この街に息づく歴史や文化を未来へつないでいきたいと考えています。
そんな想いから生まれたのが、『知ろう語ろう築地の歴史プロジェクト』 です。
本プロジェクトでは、歴史的に築地のゆかりのある場所を全7回で紹介します。
今回は3回目となります。
築地ゆかりの芥川龍之介― 両国で交差する歴史
前回、聖路加国際大学のキャンパスのあたりに、「耕牧舎」という乳牛飼育の牧場が作られたというお話をしました。
前回は»こちらでご覧になれます。
渋沢栄一が設立したその牧場の経営に携わっていたのが、芥川龍之介の実父である新原敏三でした。
芥川龍之介は、1892年(明治25)3月1日、敏三と妻フクの間に生まれました。

「龍之介」という名の由来には諸説があるのですが、辰年辰月辰日辰刻の誕生であったことに因んで名付けられたともいわれています。
龍之介は新原家待望の長男でしたが、生後7か月の頃、母のフクが突然発病します。
母方に子どもがいなかったこともあって、龍之介はフクの実兄である芥川道草に託され、本所小泉町(現・墨田区両国)で、伯父夫妻と独身で実家にいた母の姉の手で大切に育てられました。
実母の死の翌年、彼は芥川家の養子となりました。
旧幕臣で教養趣味の深い一家のもとで育てられたことや、江戸情緒が色濃く残る両国で育ったことが、後の芥川龍之介に大きな影響を与えたといわれています。
1926年(大正15)に発表された「点鬼簿」には、芥川の生い立ちが真正面から描かれています。
芥川龍之介生誕の地には標識が建てられていますが、成育の地にも標識があります。
芥川の母校である両国小学校の一角には、芥川龍之介の文学碑が建てられています。
そして、両国小学校の西側には、なまこ壁に囲まれた本所松坂町公園(吉良邸跡)があります。
浅野内匠頭長矩と吉良上野介義央と芥川龍之介と…不思議な縁を感じませんか。
機会があれば、ぜひ実際の街を歩いてみてください。
明治の文豪と赤穂浪士の歴史の足跡が、きっと新しい築地の歴史の表情を見せてくれるはずです。
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