築地の今と昔をつなぐ「💡知ろう語ろう築地の歴史プロジェクト」

築地という街には、長い歴史と豊かな文化、そして多くの人々の暮らしがあります。

私たちは、築地の「今」と「昔」を知り、人と人が語り合うことで、この街に息づく歴史や文化を未来へつないでいきたいと考えています。

そんな想いから生まれたのが、『知ろう語ろう築地の歴史プロジェクト』 です。

築地歴史

本プロジェクトでは、歴史的に築地のゆかりのある場所を全7回で紹介します。

佃島の先へ―月島・海水館と文豪たち

月島の歩道に設置された「海水館跡」の解説板。

大川端リバーシティ21を通り抜け、相生橋のたもとを隅田川に沿って進んでいくと、割烹旅館兼下宿の「海水館」の跡に出ます。

佃島の南側は月島地区です。

月島と聞くと、もんじゃ焼きを思い浮かべる方も少なくないと思いますが、1894年に勃発した日清戦争によって、当時の月島は大工業地帯として発展しました。

その一角に建てられた海水館は、1905年から営業を開始しました。

出久根達郎の『佃島ふたり書房』には、渡船に乗り合わせた男から、佃島の名所案内をして欲しいとせがまれた主人公が「佃島を一周したなら、そこの佃小橋を越えて、新佃島東町の下宿旅館、海水館をごらんになったらどうです?

 

島崎藤村が『春』を執筆した旅館です。

小山内薫も同じころ『大川端』をそこで書きました。

吉井勇、三木露風、それに画家の木村荘八、竹久夢二も下宿した、由緒ある建物です。

変哲もない建築ですがね」と語る場面がありますが、1906年に自然主義文学の記念碑的な作品である『破戒』を出版して文名をあげた藤村は、その翌年の9月から海水館に滞在して、自伝的な長編小説『春』を執筆しました。

藤村に師事し、後に「築地小劇場」に迎えられ現代演劇の父と仰がれた小山内薫もこの海水館に下宿したそうですし、その小山内に私淑した歌人吉井勇も海水館に逗留したそうです。

築地2丁目にある「築地小劇場跡」の解説文。

築地2丁目にある「築地小劇場跡」の石碑。新劇運動の拠点であったことを記念し、劇場の建物を模したレリーフが埋め込まれている。

浪漫的叙情詩人として出発し、散文に転じた藤村の『破戒』は、自費出版の形で世に出され、出自を隠して生きていかなければならない青年の、近代的自我の苦悩を、言文一致体で表現したということで、刊行後、たちまち大きな反響を呼びました。

この作品を手にした夏目漱石が、高浜虚子や森田草平に『破戒』を絶賛する手紙を送ったとも言われています。

その『破戒』の挿絵を描いたのが、美人画で上村松園や伊東深水と並び称される鏑木清方です。

「一葉」「たけくらべの美登利」「野崎村」「築地明石町」などの作品は、記念切手の図柄に選ばれ、広く親しまれたので、ご存じの方も多いことと思います。

1878年に神田佐久間町で生まれた清方は、1885年からの約10年間と1901年からの約5年を京橋木挽町(現・銀座一丁目)に住み、築地川一帯を日常的風景として、築地界隈の雰囲気に慣れ親しみながら過ごしました。

「築地明石町」「新富町」「浜町河岸」の三部作は清方の代表作と言われています。

清方の画家としての観察力は、彼の文章にも活かされました。

『鏑木清方随筆集』や『鏑木清方随筆集 東京の四季』、『随筆集 明治の東京』などから、私たちは往時をありありと偲ぶことができます。

【参考】
出久根達郎『佃島ふたり書房』(講談社)
鏑木清方『鏑木清方随筆集』『鏑木清方随筆集 東京の四季』『随筆集 明治の東京』(岩波文庫)

「🖊取材・文・編集:NPO法人つきじ江戸文字と歴史伝承の会」

 


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